五年前に小さなネタになった漢字
「惑」
という字について。詳しくは
http://s-nakagawa.net/wp/wp-admin/post.php?post=944&action=edit
1)以外は自分語りなので、興味がなければそこだけ読んでもらえればいいと思います。
0)思考の変遷
さて、それも半ばを迎えて昨今、思考の時間が増えました。というより、勤務医時代と開業医時代とも言えるかもしれません。
勤務医時代は自分の考えを上司に答え合わせ、からの決断ということが多かったと今になって思います。上司がいなくなったことで、少しでも自信を持つために、逃げたいとき以外は、様々な事を見て考え続けています。
すると当然思考も興味の向かい方も少しずつ変遷しています。5年経つと全然変わってしまいました。で果たして今は走っている?迷走している?あれ?迷??
そのきっかけはこれです。
1)そもそも『惑』と『迷』ってどう違うんだ?
どちらも似たような読み方です。国語辞典でもほぼ同じような意味です。熟語を考えてみる。
『惑』幻惑、困惑、誘惑…
『迷』迷路、迷宮、迷子、迷走、迷惑、低迷…
なんか『惑』は精神や思考、『迷』は物理的なものも含め広い意味も含め、といった感じでしょうか。
全ての『迷い』の中で、思考的な迷いにだけ『惑い』が当てられている印象です。
2)『四十不惑』
四十にして惑わず。40歳になると自分の生きてきた道に自信を持ち、惑わなくなる、という意味だそうです。
孔子さまが年をとって振り返った時に思ったことだそうです。
先人の思考をお借りして今後の思考の方向性について考えてみます。
我が人生の目標は、
『なぜ加齢により動けなくなるか』
『動ける体を維持するにはどうする』
『そのために体の何に意識をおくべきか』
をただひたすら自分なりに思考を繰り返しています。
私は脳筋の現実主義者です。実際に見て考えたことしか信じられません。
①『子供の頃の外遊び』『体育(やお遊び)レベルのスポーツ経験』『解剖学の勉強』『(整形)外科医としての経験』
思考の時間が増えたことで、これらを元に
②『運動学をかじり』
③『様々な人の動きや姿勢』と『自分の体を使った実験』、『経験を元にした力学的思考』と『解剖学の復習』。
今は②と③の繰り返しています。
3)まとめ
これだけで一生かけても足りないくらい(惑わずに)考え続けられると思います。そういう意味で、『不惑』にたどり着けたつもりでいます。歳いってから『あの頃は若かったなぁ』とか思うかも知れんけど。
中川和也 拝