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駄文 ~ 祝150周年 ~

当院のお隣に堀川小学校があります。最近はあまり行っていませんのでまだあるかは存じ上げませんが、春頃に前を通った時には、1号線沿いに祝150周年の横断幕が貼ってありました。ま、それだけだったら歴史の長い学校だなぁだけで済みますが、自宅の近所の掲示板にも150周年のお知らせが出ており、阪急京都線沿いの新庄小学校にも同様の横断幕が貼ってありました。ネットで調べてみると全国各地で150周年の小学校があるではないですか。

2022年-150年である1872年(明治5年)って学校関係で何かあった年なのかと思い色々調べてみました。昔の歴史の教科書を引っ張り出してくると1872年は富国強兵の政策の一環として、6歳以上のすべてが小学校で教育を受けるという制度である『学制』が発せられたそうで、日本最初の近代的学校制度だそうです。身分に関係なく教育を受けられるようになったそうです。

なるほど、日本初めに作られた小学校という制度ができた年なのか。であれば日本全国に同時に小学校の歴史の始まった学校が無数にあってもおかしくないわけです。

…オチがない…困った…

そういえば、わが故郷の名塩の村(176号線沿いの木ノ本から塩中の前を通った古い町並みから旧176号線沿いに入り阪急バスで言う所の名塩東口から名塩西口にかけての山間の村)も、古くからある地域です。その村の中にあるわが母校名塩小学校を調べるついでに久しぶりに故郷名塩に思いをはせてみました(小学校時代の記憶をたよりに・・・)。

 

まずは名塩和紙です。昔々、いい和紙を作るため職人が北陸(確か越前?)まで修行に行き、その知識を持ち帰り、和紙の里を開いたことが始まりだそうです。今でもまだ職人の家系が続いているかは存じ上げません(たしか30年前で5家くらいしか残ってないと習った気がします)。ただ我々も小学校の頃はふれあう機会も多く、毎年のように牛乳パックを水に溶かして紙をすく実習がありました。また、高学年になると、原料となる木の皮を山にはぎに行き、それで紙をすく実習がありました。小学校の卒業証書は、自らの手ですいた和紙に書いてもらいました(もしかしたら山に行ったのは卒業証書の紙をすく原料のためだったのかも?)。

江戸時代末期には蘭学の町としておおいににぎわったそうです。阪急バスの名塩駅~名塩東口駅にかけて、旧176号線の一本裏道に蘭学通りという道があります(ちょうどバス停が入口です)。緒方洪庵の奥方の八重さんの実家があった場所で、そこに緒方洪庵のお弟子さんが適塾(緒方洪庵の開いた蘭学熟)の分校を開き、たくさんの人が学んでいたそうです。そんなところで育った私が、緒方洪庵の墓所のご近所で開業医をさせてもらっているのも、何だか不思議な縁なような物を勝手に感じてしまいます。

さらにいつの時代からあったのかは存じ上げませんが、名塩にもだんじりがあります。秋に東西南北ノ町と中ノ町、木ノ本、大西町(だったかな?)各々のだんじりが、名塩の八幡さんに集結するイベントで、何もない田舎の小学生には数少ない大イベントであり、秋祭りは大いに楽しみにしていました。

さて、そんな歴史のある村にあるわが母校の西宮市立名塩小学校の歴史が気になり、名塩小学校のHPを拝見させていただきました。1873年に兵庫県有馬郡名塩村塩渓小学校として開校したそうです。とすると来年が150周年です。その歴史からするとたった30年前の卒業生ではありますが、そんな長い歴史の中に紛れさせてもらっているのはなんだか誇らしくもうれしくもありますねぇ。

後半に話がだいぶんそれましたが、名塩小も来年150周年ということで、なんとかオチがついてくれて安心しました。

中川和也 拝