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全部塩中が教えてくれた気がする① ~ 私は何科医でしょうか…? ~

初めに…塩中=西宮市立塩瀬中学校 でわが母校です。たびたび、故郷愛に関しては当ブログで、染み出しているつもりですが…

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ロッテネタをはじめとしたプロ野球ネタ、さだまさしネタ、子育てネタ…あれ?意外と地元の事を書いてるのこれだけ?まぁいいや、塩中がどんなところかはとりあえず置いておいて、整形外科医としての私の頭の中について整理してみます。ここから先は完全に自分語りになるので、読むのが嫌になれば最後の3文まで読み飛ばしてください。

 

さて、私が『整形外科医』として様々なポジションで仕事をし、まもなく20年になります。なんとなく考え方が変わっていく期間を3期にわけてみました。ちなみに普通なら労基に引っかかる話もたくさん出てきますが、医師には労働時間に規制などなかったので悪しからず(医師の時間外労働が初めて法で規制されたのは、2021年に年1860時間(月平均155時間)、2024年からは960時間(80時間)と定められました)。そして時間外がどうのなんてことを疑問に思うことなく働いていました。むしろ時間外を減らしなさいと言われて『いや無理やん』『どこで臨時手術するの?』 と疑問を持ったものです(だから恥ずかしながら雇用主になるまで時間外に上限があるなんてことすら知りませんでした…)。

1期『整形下っ端期(約10年)』 研修医から専門医を取得するくらいまで

生活:盆も正月もなく24時間365日病院から電話を受けられる状態で待機し、電話対応、呼び出しなどに対応。待機に対しては手当もなく、場合により夜通し働いても、朝9時から通常業務が待っていた時代です。基本病院から10分以内に住み、1時間以内に戻れる場所にいるように指導されていました(それに疑問持たず)。救急や一般外来に来た患者さんを、手術、入院、通院治療に振り分けて担当していました。

医師として:ほぼ上級医の指導の下でなんでもこなしてきていた時期。手術は執刀医、介助を合わせて年間約300件くらいでしょうか。当時は必死でしたが、今思えば病態などは何も考えず、ただ闇雲に目の前だけを見て触っていた、起こった事象に必死に対処していた期間でもあります。それを続けているうちに、前もってこうしておけばトラブりにくいなどを経験から覚えていった時期でもあります。

2期『整形?リハ科?期(約3年)』 松下記念病院で整形外科兼リハビリ科としていた期間

生活:基本同じだけど、近い学年の整形外科医がいたので、呼び出し回数は断然減、その分、リハ科医の仕事が増えたので仕事量はどっこいどっこい。嫁さんが滋賀県勤めだったこともあり野洲市から守口に通っていたため片道2時間かかっていました。もちろん待機の手当てはなし。守山まで帰って病院から電話、緊急手術でとんぼ返りなんてこともありました。ただ、泊りの翌日はルーチンが終われば午後から帰ってもいいといった制度を取ってくれていました。ルーチンがあれば午後や夜までもありましたし、前日の夜の手術症例を当直明けの夕方の時間外に入れざるを得ない、なんてこともありましたが。

医師として:過去に何度か経験した外傷が増え、どんな治療をして、どんな結果になるか予想がつくようになったため、自分の判断でやる仕事が大半になり、仕事にも余裕が出来ました。上級医との相談は、珍しい病態や悩ましい外傷の時くらいに減りました。手術はたぶん年間200くらいと思う。リハ科を兼ねていたため、その他の科の患者さんを(検査ができないため)腕だけで診察する術を覚えました。これが今の仕事のbaseになっています。また、院内のほぼどこに行っても顔が知れていました。整形外科医として、整形病棟のスタッフ、手術室スタッフ、術前術後の検査スタッフ、放射線科のスタッフだけでなく、リハ科医として、リハ室のスタッフ、各患者の担当医師と話し、全病棟(内科、婦人科、外科、小児科、緩和ケアまで)の看護師さんなど。たぶん関与していない医療系のスタッフは、整形外科以外の外来スタッフと眼科くらいじゃないかと思います。

3期『整形外科?整形内科?期(約6年)』 開業後

生活:ガラッと変わります。まず経営者になってしまいました。その仕事は正直手探りです。先にも書きましたが、まず常識がわかりません。土日祝日は休診にし、盆や正月を自己判断で取るようになりましたが、月の残業時間はあまり変わっていない気がします。年がいった分なのか、1階から6階まで走り回っていた松下時代より運動量が減った分なのか、子供と土日にまとめて遊ぶ体力の消耗が激しい気がします。

医師として:一人でできない手術や深い部位(手術室で行うべき)手術などを大きな病院に依頼し、次に医師に診せるまでの間(私または紹介医)の生活指導と薬の相談が主になりました(整形内科です)。ただ、同時に松下記念病院での各科の患者さんを診て…からの延長戦になりました。整形外科学ではなく運動学から人を診るようになると各関節を専門とする整形外科医には戻れない気がします。

そして現在地…

『人は普通の生活をしていると地味に姿勢が悪くなる』と『それに自分では気づけない』といったことに気付きました。姿勢が悪くなると様々なことがしにくくなるので、いかに『それなりの姿勢を維持するか』が現在の命題と思っています。

こんな現在地にたどり着くための原点は、実は中学時代の経験かなぁと最近気が付いきました。私の医師としての原点が7割くらい塩中にあったことに最近気づいたので『全部塩中が教えてくれた気がする』というシリーズを立ててみました。

さて次回は塩中に紹介ですね。興味があればお楽しみに。誰が興味あるんだろ…?

中川和也 拝