先日、房総半島に続いて関東平野でも台風19号で大規模な水害があり、自分の身内も荒川のそばに住んでいる者は避難していたようです。幸いにも翌日には家に帰れ、現在は普通に生活しているようで、身内には大きな被害はなかったようでほっとしている次第です。しかし、いまだに避難所生活を余儀なくされている方、帰れても自宅には住めない方、ご商売を再開できない方など、まだまだ普通の生活もできない上に、台風がらみの秋の長雨が続いており、不安な日々を過ごしていることでしょう。
関東平野のイメージ(自分記憶ですが)、徳川家康が江戸に改易されてから大きな治水工事が初まり、その際に利根川を今の大きな流れができたそうです。それ以前は小さな川と広い湿地帯で周辺には小さな村々しかありませんでした。中央政権からは関東の田舎者扱いだったようですし、関東平野が埋め立てられてどんどん発展していったのは、江戸時代以降です。もちろんその後も川が決壊するたびに堤防をしっかりさせたり、現代になっても予防的に工事は続いていたことも、これ程の大災害は記憶に薄いのかもしれません。
一方大阪もそうです。もともとは湿地帯で、台風の度にどこかしら氾濫していたでしょう。豊臣秀吉の時代に文禄堤を作り(守口や千林商店街に記念碑や説明文があります)、江戸時代にも梅田や曽根崎新地が開かれ・・・とその後も埋め立て工事が続きます。大阪府は我々の親の世代には日本で一番小さな都道府県だったのが、今は埋め立ての関係で2番目に小さな県になっています(有名な話?)。今でも川や橋のつく地名、木や森の入った地名が市内にもたくさんありますし、名前からどんな土地であったことが想像できます。千林とか森小路あたりは木々が生い茂ってそうな感じ、京橋や寝屋川とかは逆に川やったんだろうな~とか、蒲生も蒲が生える土地で湿地帯、梅田はもともと埋田と書いてた(言われてた?)らしい。南森町もたぶん、森の南側の町やったとかじゃないの?知らんけど。
字数が増えてきたんで疲れてきたし、自分ならこれ以上読みたくないので続きは後日!今日はオチはありません(スミマセン)
中川和也 拝