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私文 ~ 笑点 ~

テレビがあると勉強しなくなる(+どうせ深夜番組以外観れない)という理由で、社会人になりテレビを捨てました。

今の嫁さんと住むようになってからなので10年ほど前でしょうか、テレビを買いました。もっとも、テレビを見る習慣が無くなったため、早く帰れた日以外は見たいテレビ(野球中継)は見れませんので、子供ができるまでの数年間はほぼ置物でした。ところがある日たまたまテレビをつけたら笑点がやっていたので、それ以後面白くて見れる日は見るようになりました。っても月一かくらいでしたが。笑点⇒ナイター中継の流れで見れました。

開業医になってテレビ絡みで一番変わったことは、生で見られるテレビが野球中継から笑点に変わったことかもしれません。生で野球中継は土日祝日以外は見られませんが、逆に子供が出来たこともあり家での食事が増えたので、月何度かは確実に笑点を見られます!!

前置きが長くなりましたが結局コロナの話です。

緊急事態宣言の頃は何週かお休みの後は再放送、その後はリモート大喜利、無観客大喜利と姿を変え、現在は付き人さんを客席に置いてほぼ元通りの笑点に戻っています。ほぼ元通りとは言うものの、『各回答者の間はアクリル板で仕切られ、回答者は互い違いに座る、山田さんは『山田』と書いたマスクをして待ち構えている。』状態ですが。それでも慣れてくればこんなもんかと思えてきます。

これだけだとどうでもいい話ですが、最近、17時から再放送、17:30からいつもの、の流れになっています。

その再放送も、リモート大喜利の頃だったり、コロナ前のや昔の大喜利だったりといろいろ出てきます。

昨年春はリモート大喜利もあるだけで喜んでいましたが、今再放送を見てみると『噺をしても返す観客がいない』、『通信の関係上、反応にタイムラグがある』など、噺家さんたちもかなり戸惑いながらやっているのが目に見えます。一方、コロナ前の大喜利を見ると華やかですね。お客さんがたくさんいて、面白ければ笑いが起こり、回答者が歌えば手拍子が鳴る、お約束の笑いやいい答えでは大きな拍手が起こるなど、当時の当たり前の光景を見ると、最近の見慣れた大喜利ですらすごく寂しく感じます(慣れって恐ろしい)。

マリンの応援もそうですが、いつになれば人目を気にせず密集できる世になるんでしょうね・・・ってか、こう長くなるとそうならない、それを望んではいけないのかと思ってしまいます。であればソーシャルディスタンスがスタンダードになった世のために今後の生き方を考えた方がいいのかもしれないなぁと思い始める今日この頃です。

中川和也 拝