我が故郷・・・ではありませんが、医師としての初めの2年間を研修医として出発した病院である三田市民病院が経営難になっているようです。数年前からそういうニュースを度々見かけましたが、ついに人件費で経費削減にかかり始めたようです。
私事ですが、研修医を2年間過ごした病院で、整形外科以外の経験をさせていただいた唯一の病院であることから、他人事ではありますが、この病院のニュースが出るたびに暗い気持ちになっていました。一般外科や消化器内科、麻酔科に循環器内科、整形外科に産婦人科、小児科、脳外科など多数の科をそれぞれ1-3か月程度ではありましたがローテイトさせていただきました。HPを見てもあの頃の先生は数えるほどになっていますが、それでも出発点であることには変わりありません。
その中で最も印象に残っている科は循環器内科です。当時は心臓カテーテルセンターが発足し数年程度しか経っていない時期だったと記憶していますが、当時前期専攻医の先生を含め5人程度(+研修医1-2名)の科でした。心臓や血管疾患、救急では主に心筋梗塞や狭心症等、1分1秒を争う疾患に対応する科です。『胸痛の患者さんが来る=心カテの用意』のような感じで、救急車で搬送されてくる患者さんが来る前に、研修医や前期専攻医が救急室で待ち構える⇒心電図で診断を付け⇒オンコールのスタッフやほかの循環器医にコール、部屋や人を待ちながらほかの検査などをしてカテ室へ。そして数日後には生死が分かれている、そんな急転直下な科でした。
いまだに2名記憶に残っている患者さんがおられます。
1名は70代の男性、ある夜、循環器の先生と一緒に当直中に救急外来へ歩いてこられました。訴えは『心臓が止まりそう』(実際の心拍は20台(正常は60-80程度)だったと記憶しています)でした。検査の結果心筋梗塞の診断で緊急カテーテル治療も実らず、3日ほど後にICUで亡くなられました。
もう1名は40台の男性、休日に篠山市の体育館で卓球の大会中に発作、心肺停止し、AEDや救急隊の心臓マッサージをされながら1時間近くかけて搬入、すでに救急車が到着前に全員召集され、診断の上でそのままカテーテル治療を行い、1か月後に歩いて帰られました。
歩いてきた人が緊急の治療でも亡くなる、心臓が止まった状態で運ばれてきた人が歩いて帰る。今では倍くらいまで医師の数は増えていましたが、命に直結する科であり、各先生方には頭が下がる思いです。
さて私事はこのくらいにして、
三田市は、四方を山に囲まれた三田盆地にある町です。六甲山脈の北側に位置し、隣の市へ行くには車、でも、どちらに行っても田園風景が広がる地域(四方の猪名川町、篠山市、三木市、神戸市北区など)で、夜に車を出してどこかに行くなら六甲山の夜景以外には行く場所がない、そんな地域です(個人の感想)。
逆に医療圏という観点からすると非常に広域をカバーしている病院とも言えます。三田市民病院から一番近い救急体制の整った病院を聞かれると神戸市北区の済生会、じゃ、その次は?と聞かれると答えに困ります(勉強不足であればすみません)。
先ほどの篠山市から心肺停止で運び込まれた男性は、この体制が整っていなければどこで治療を受けられたのでしょう・・・三田市を超えて神戸市北区の済生会?西の三木市?北東の京都府福知山市?いずれにしても市(県)をまたぐ必要があります。医療者の立場からは、過疎化が進む山間では、そんな問題の方が大きくなってしまいそうです。市としてもしんどいのでしょうが、なんとか予算を付けてほしいものです。
中川和也 拝